ダンケルクの奇跡を待ち望んだアゾフ連隊の妻たち

その他いろいろ

この記事は2022年5月に書かれました。
加筆:2025年12月

2022年の2月、ロシアが突如としてウクライナに侵攻を始めた時、メディアは連日、ロシア軍の非道な行為を報道していました。
世界中の人々がプーチンに対して怒り、義憤にかられ、ウクライナ国民のために祈りました。
欧米のニュースの中でも特に大きく取り上げられていたのは、アゾフスタリ製鉄所に立て籠もり、最後まで戦ったアゾフ連隊のニュースでした。
今回は、このアゾフ連隊に関する記事を投稿致します。

戦争が始まった当初、誰もがこの戦争は1,2年で終わると予想していました。しかし、2025年12月現在もこの戦争が終わる兆(きざ)しは見られません。

ウクライナ戦争が2年目に突入すると、メディアの報道も急激に減り、ウクライナを支援している国々の間にも「支援疲れ」が現れてきました。
ウクライナ戦争がもうすぐ4年目に突入しようとしている今、もう一度、2022年当初の出来事を振り返ってみたいと思います。

ダンケルクの戦い

皆さんは「ダンケルクの戦い」をご存じでしょうか。日本人は知らない人が多いと思いますが、ヨーロッパでは知らない人はいないというくらい有名な戦いです。どのくらい有名かというと、本来、地名である筈の「ダンケルク(Dunkerque)」という単語が、英語では「Dunkirk:必死の撤退」という名詞にさえなっているほどです。
ちょっと違うかもしれませんが、日本語の「夏の陣」に近い用法かもしれません。

アゾフスタリ製鉄所とアゾフ連隊

話は飛びますが、5月8日に、アゾフスタリ製鉄所に残っていた一般市民の避難が完了したとの報道が日本にも入ってきました。ほっとした半面、これからが本当の地獄の始まりのような気もします。なぜならば、一般市民がいなくなった今、アゾフスタリ製鉄所に残されたアゾフ連隊に対するロシアの攻撃が容赦のないものになることが予想されるからです。
そんな中、アゾフ連隊の妻たちが「ダンケルクの奇跡」を待ち望み、人知を超越した何かが起こり、自分たちの夫がアゾフスタリ製鉄所から救出されることを祈っているとの声明を発表しました。彼女たちは「一般市民だけではなく、兵士にも人権はある」として、何度も夫たちの救出を世界に訴えてきました。

「地下要塞からの電話で、彼は私に『永遠に愛している』と言ってくれました。その言葉は、まるで『さよなら』と言っているかのようでした。」
アゾフ連隊の司令官の妻の言葉(USA Today紙)

地下要塞内部の様子

日本でも、ウクライナの悲惨な状況を耳にする度に、胸を痛めていらっしゃる方がいると思います。特に、アゾフスタリ製鉄所に閉じ込めれた一般市民とアゾフ連隊が置かれている状況は酷いものです。
彼らはいつ天井が崩れ落ちても不思議ではない真っ暗な地下要塞の中で、間断なく飛んでくるロシア軍の地下貫通弾に怯えながら、二ヶ月近くを過ごしました。
爆撃による粉塵がもうもうと舞う中、地上の新鮮な空気を引き入れることもままならず、カビが大発生し、死臭と排泄物の臭いが充満する中での二ヶ月です。想像を絶するものがあったと思います。

アゾフスタリ製鉄所の地下要塞に避難している子供たち
どんな状況でも、子供たちには未来を信じる力を失わない

地下要塞の中では、水も食料も医療品も尽きて、一杯のスープを数人で分け合っていると言われています。また、電気も止まっているため、避難した当時(冬)は非常に寒かったようなのですが、5月に入った現在は非常に蒸し暑くなっているとも聞いています。
負傷した兵士は何の治療も受けられず、麻酔も痛み止めもないまま、苦しみ抜いた挙句、死んでいく…
しかし、彼らは死んだ仲間の遺体を遺棄したりはせずに、そのままにしているそうです。いつか遺体を遺族に引き渡たせる日がくるとの希望を持って…
一方、ロシア軍は死者に対する敬意をまったく払わず、兵士の遺体をゴミのように扱うと言われています。
そして、生き残っている兵士達もけして良い状態とは言えず、弱り切った体で残虐なロシア軍を立ち向かわなければなりません。

少し前に一人の女性兵士が真っ暗な地下要塞の中で、仲間を励ますために歌を唄っている動画がYouTubeにアップされましたが、その動画を観た途端、涙がこぼれ落ちてしまいました。

塹壕の中で歌うウクライナの女性兵士

これまでにも、ゼレンスキー大統領は何度も「世界は何もせずに、ただ彼ら(アゾフスタリ製鉄所に閉じ込められた人々)が死んでいくのを見ている」と欧米諸国を非難してきました。しかし、私達には彼らを救出する力はありません。なぜなら、第三国が迂闊に救助の手を差し伸べたら、それがプーチンを刺激する材料となって、第三次世界大戦が始まりかねないからです。

アゾフ連隊は全員、死を覚悟しているようです。彼らは何か月も前から、死ぬまで戦うと宣言しています。彼らをそう言わせているのは、ヒロイズムや愛国心だけではなく、長年にわたるロシア軍との軋轢があるからだとも言われています。
アゾフ連隊はロシア軍から目の敵にされており(長くなるので、詳細は省きます。気になる方はネットニュースなどで確認してください)、降伏したら最も惨(むご)い殺され方をするだろうと予想されています。(一般市民の中にも家族の前でガソリンをかけられて生きながら焼かれたり、何人もの兵士にレイプされた末に殺された人たちがいますが、それよりも酷い殺され方だということです。)

アゾフ連隊の司令官が地下要塞の中から、投稿した動画
「俺たちに降伏という選択肢はない」

ダンケルクの戦いとは

ここで、アゾフ連隊の妻たちが待ち望む「ダンケルクの奇跡」とはどういうものか皆さんに理解していただくために、その元となった「ダンケルクの戦い」についてご説明します。

「ダンケルクの戦い」とは、第二次世界大戦中にヨーロッパ西部で起こった戦闘の一つです。ドイツ軍がフランスに侵攻した1940年5月24日~6月4日、追い詰められた英仏軍はフランスのダンケルクでドイツ軍の攻撃に耐えていました。
時の首相ウィンストン・チャーチルは、イギリス海外派遣軍とフランス軍からなる約35万人の兵士をダンケルクから救出することを命じ、それに応じたイギリスのありとあらゆる軍艦、輸送船、小型艇、漁船、民間船などが撤退作戦(作戦名:ダイナモ作戦)を遂行しました。
一方、ブレストに在泊していた強大なフランス艦隊は何もしようとしなかったとされています。

ドイツ軍は、連合軍の本格的な反撃に備えて機甲部隊(戦車)の温存をはかり、空軍による攻撃でこれを阻止しようとした。しかし、これをイギリス空軍が迎撃し、連合軍のほとんどは海からの脱出に成功した。
尚、この時、カレーで包囲されていたイギリス軍部隊は、ドイツ軍を引きつけておくために、敢えて救出されなかった。この部隊の犠牲もダイナモ作戦の成功の一因であった。

この戦いで、イギリス軍は約3万人の兵員を捕虜として失い、880門の野砲、310門の大型火砲、約500門の対空砲、約850門の対戦車砲、11,000丁の機関銃、700両近くの戦車、20,000台のオートバイ、45,000両の軍用車両及びトラックなど、重装備の大半を放棄せざるを得ませんでした。
数十万の兵士がほぼ無装備で帰還した後、イギリス軍は深刻な兵器不足に陥るが、この撤退はイギリスにとって人的資源の保全と、戦意の維持という意味では大きな成功を収めた。
この時の戦いは「ダンケルクの戦い」または「ダンケルクの奇跡」と呼ばれ、後世に語り継がれている。

漁船までもが救出に向かったという、これぞブリテン魂!というようなお話ですね。日本も今は平和ですが、もしも戦争になったら、こうありたいものです。

この「ダンケルクの戦い」は何度も映画化されています。一番新しいものでは、2017年にイギリス人監督が製作した「ダンケルク」があります。第90回アカデミー賞では3部門で受賞を果たしています。
私は予告編しか観ていませんが、「Hope is a weapon(希望は武器)」、「Survival is victory(生き残ることこそが勝利だ)」、「We have a job to do(我々にはやらなければならない仕事がある)」、「There is no hide on this side(連合軍側には、隠れる場所がない)」などという台詞からも、当時の過酷な状況がうかがえます。

アゾフ連隊の話でも、ダンケルクの戦いでも、こういった戦争の話を聞く度に、私は自分が同じ状況に置かれたら、どのような行動を取るだろうかと考えてしまいます。
死が目前に迫っている状況で、他者を助けることができるだろうか、弱者を優先できるだろうか?自分だけ助かろうとしてしまわないだろうか?私には自信がありません。たぶん、皆さんも同じように考えるのではないかと思います。

何もできない小心者の私ですが、こうして情報を発信することで誰かに何かを伝えられたらと願っています。
遠い日本から、アゾフ連隊の方々に「ダンケルクの奇跡」が起きることを祈っています。

アゾフ連隊のその後

アゾフ連隊はマリウポリでの激闘の末、ロシア軍の猛攻に押されてアゾフスタリ製鉄所に立て籠り、長期間にわたって抵抗を続けました。ロシア軍に屈しない姿勢が、ウクライナの抵抗の象徴となりました。

残念ながら、ダンケルクの奇跡は起こらず、いかなる正規軍も国際軍もロシアの包囲網を破って彼らを助けに行くことはできませんでした。
彼らの多くは玉砕覚悟で戦っていました。特に司令官たちは、投稿すれば自分たちが凄まじい拷問にあうことは分かっていましたので、拷問で死ぬくらいなら、戦って死にたいと思っていたようです。
しかし、再終的にアゾフ連隊は負傷兵300人の治療のために投降・降伏しました。苦渋の決断でした。

アゾフスタリ製鉄所に立て籠もっていた
アゾフ連隊の負傷兵たち
Guardian紙より

ロシア国防省の発表では投降した人数は2,439人とされていますが、ロシア側の発表とウクライナ側の発表では人数に食い違いがみられます。2025年5月末の時点で、ロシアの捕虜になっていた約2,500人のアゾフ戦闘員のうち、半数以上にあたる1,279人がウクライナに帰還しています。

ロシア側はアゾフ連隊を「戦犯」として扱い、ロシア最高裁判所は彼らを「テロリスト集団」と認定しました。
ロシア側が主張するアゾフ連隊の具体的な罪状は、民間人の虐殺・拷問、製鉄所に立て籠もった際に民間人を「人間の盾」として利用したなどです。
これに対して、国際社会はロシアこそが戦争犯罪者だと非難しました。

アゾフスタリ製鉄所に立て籠もった兵士たちの家族の会は4人からスタートし、最終的には4,000人に膨れ上がりました。会の代表者の1人、ナタリアの夫ボフダンさんはアゾフ連隊司令官でした。
ボフダンさんは2022年9月に捕虜交換の一環として帰還しましたが、背骨や腎臓、膝の損傷、視力や聴力の低下、PTSDなど、今も心身に多くの問題を抱えています。
これらの怪我や障害は戦闘で負ったものかもしれませんし、ロシアでの拷問の結果かもしれません。ロシア側の捕虜の扱いは非人道的なことで知られており、特にアゾフ連隊に対する扱いは酷かったようです。

解放された捕虜の証言によると、電気ショックや爪を剥がされるなどの拷問がされていたようです。また、薬物や拷問を用いてアゾフ連隊に嘘の自白を強要し、プロパガンダ映像に利用しようとしたとも言われています。
女性兵士に対してはこれらの拷問に加えて、集団での性暴力なども報告されています。女性兵士は投降前から性的暴力は覚悟していたようです。当時はそのような動画も投稿されていましたが、実際に経験してみると、想像以上の地獄だったと思います。辛いですね。

最後に

ウクライナで最も寒い時期は1月で、平均最低気温は -6℃、最高気温でも -1℃です。場所によっては、-17~-20℃になることもあるようです。

私には彼らの為に祈ることしかできません。時々、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)を通して数千円の寄付をしていますが、数千円では毛布一枚しか買えません。
UNHCRの最新の発表では、2025年12月現在、ウクライナでは約1/3が家を失っているそうです。
プーチンは侵略を始めてすぐに、命を繋ぐガスや電気などのインフラ設備を戦略的に破壊しました。インフラの復旧もままならないまま、ウクライナ国民は4回目の冬を迎えています。
この戦争が早く終われと願わずにはいられません。

今回の記事はいかがでしたでしょうか。この記事が皆様のお役に立ちましたら、いいねボタンをポチッと押してください。励みになります。
このブログはまだ読者数も少なく、Google検索にもまったく引っ掛からないこともあります。皆様が偶然、このブログに辿り着いたのは、奇跡のような確率です。
お気に入り登録をしてくださらないと、二度とお会いできないかもしれません。当ブログの記事を続けて読みたいと思われた方は、お気に入り登録をお忘れなく!

タイトルとURLをコピーしました