福田蘭堂がご先祖様?!

ちょっと深い話

皆様、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
皆様、お正月はいかがお過ごしだったでしょうか?既婚の方も未婚の方も実家へ帰り、久しぶりにご親族に会われ、楽しい時を過ごされたことと存じます。
もちろん、諸事情から帰省されなかった方も、それはそれで良いのではないかと思います。こんな時代ですから、色々な家族に形があります。実家に帰らない方も結構、多いのではないでしょうか。

お正月の帰省事情

斯く言う私も父の容態が悪化するまでは、何十年も実家には帰りませんでした。そんな私ですから、諸事情により帰省されない方々を「親不孝」なんて思ったりはしません。
帰る場所がないのは寂しいことですし、家族仲が良いに越したことはありませんが、家族でも距離感は必要です。それぞれの家族に合わせた距離感があっても良いのではないでしょうか。

私が実家に何十年も帰らなかった理由は色々ありますが、一番大きかったのは両親との不仲です。また、実家には弟夫婦、甥、姪が同居しており、居場所がなかったことも理由の一つでした。
しかし、二年前に父の容態が悪化してからは、頻繁に帰るようになりました。そして、今年は母の手術が重なったこともあり、毎月、帰っています。母との仲も修復されつつあり、会話も増えてきました。
はたして、私の帰省が親孝行になっているのか、疑問は残りますが…かえって、母のストレスを増やしているような気がしなくもありません。
前振りが長くなってしまいましたが、今回はそんな私がお正月を実家で過ごした時の母との会話から発展したテーマです。

年末のテレビ番組がきっかけで

年末に、母と私がテレビを観ていると、「有名人のご先祖様を調べる」という主旨の番組が放送されていました。本人も知らないご先祖様を、番組のスタッフが調べ出すと意外な人物が見つかり、びっくりいう趣旨の番組なのです。
それを観ていた母が若い頃、父から聞いた話を思い出しました。母が聞いた話によると、父の祖父はお金持ちで多くの土地を所有しており、その土地の一角に「福田ランド」という人のお墓があるそうです。
幼い父は祖父から、「福田ランド」は「笛吹童子」に関係のある人で、とても有名な人だと聞かされていたようです。父の祖父の土地にお墓があることから、母と父は「福田ランド」氏を親類だと思っていたようです。
「福田ランド」という遊園地のような、ふざけた名前を持つ人物は、一体、何者なのでしょうか?可笑しな名前に興味を覚え、その場でスマホ検索すると、意外や意外!その人物の顔写真がすぐに見つかりました。

親類と言われてみれば、どことなく父に似ているような気もします。額の形、鼻の高さ、目が大きく垂れ目なところ、二重瞼が三重瞼になっているところ、特徴的な前歯の隙間など、他人の空似とは思えないような、思えるような…

残念ながら、父は既に亡くなっていますので、父からランド氏について詳しいことを聞くことはできません。母にしてみても、ランド氏にそれほど興味があったわけではなく、はっきりとは覚えていないようです。
しかし、今の時代、調べようと思えば、なんでもインターネットで調べられます。連休明け、アパートに帰ってきた私は、早速、ランド氏について色々と調べてみました。

福田蘭童ってどんな人

この福田ランド氏、正しくは「福田蘭童(蘭堂)」は、1905年(明治38年)生まれの尺八の名手であり、映画「新諸国物語」の主題歌「笛吹童子」の作曲家でもありました。

「新諸国物語」は観たことがない人でも、「ヒャラーリ、ヒャラリコ、ヒャラーリ、ヒャラリコ、どこへ行くのか笛吹童子♪」という歌は、どこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。この歌が作られたのは、約70年前です。それが今でも残っているということは、かなりの大ヒットだったのだと思います。
時代は無声映画がトーキーに変わりつつある昭和29年。高度成長期が始まった年であり、美空ひばりが「ひばりとマドロスさん」で、初めて紅白歌合戦に出場した年でもありました。

さて、話は今回の主人公「福田蘭童(芸名)」氏に戻ります。
この人に関しては、調べれば調べるほど、驚きの連続でした。まず、この人の家系がすごい!蘭童氏の父は天才洋画家の青木繁氏であり、蘭童氏の息子さんはクレイジーキャッツのピアニスト、石橋エータロー氏です。(母たちはエータロー氏よりも一回り、下の世代です。)

蘭童氏の父、青木繁は国宝とまで謳われた天才洋画家です。この名に聞き覚えはなくても、「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」は、誰でも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

「海の幸」
色調が暗く、好き嫌いが分かれそうな絵ですが、
個人的には、力強く素晴らしい絵だと思います。
天才と言われるだけのことはありますね。
「わだつみのいろこの宮」

そう言えば、姪は絵を描くことが大好きで、大人になった今は、イラストレーターになっています。乱暴すぎるこじつけかもしれませんが、もしかしたら青木繁氏の遺伝子が受け継がれているのかもしれません(笑)。
私自身も高校時代、美術部に所属しており、何かにとりつかれたように油絵に夢中になっていた時期がありました。絵は中の上ぐらいのレベルでだったと思いますが、あの時は自分の意志とは関係なく、何か(遺伝子?)に操られていたような気がします。(残念ながら、油絵具が買えずに、途中で退部しましたが…)

福田エータロー氏とクレイジーキャッツの面々
左端の眼鏡をかけた人物が石橋エータロー氏
左がエータロー氏、右が蘭童氏
丸顔のエータロー氏は、祖父似?
天才洋画家 青木繫氏

しかし、音楽の才能の関して言えば、私の家系に音楽の才能に恵まれた人は一人もいませんでした。ということは、蘭童氏と我が家はやはり関係がないのかもしれません。

前述したように、蘭童氏は作曲家であり、尺八奏者でもありました。「笛吹童子」の大ヒットする前に、尺八の鬼才として既に有名だったようです。蘭童氏は1905年(明治38年)生まれですから、尺八奏者の位置づけは現代人が想像するよりも遥かに高く、尺八の名手というだけで女性からもかなりもてたようです。

また、蘭童氏は非常に多才な人で、釣り好きが高じて、釣りに関する本を多く出版しています。志賀直哉、谷崎潤一郎、菊池寛、久保田万太郎、吉川英治、井伏鱒二、川端康成、阿川弘之、開高健など、多くの文化人とも交流があったようです。
さらにまた、魚料理の腕前が素晴らしかったため、周囲に勧められて魚料理店「三漁洞」も出しました。この店は知る人ぞ知る名店で、現在も渋谷で営業を続けています。蘭童氏が息子のエータロー氏に譲り、エータロー氏亡き後は奥様が切り盛りなさっています。

「宝焼酎ハイボール倶楽部」の取材の様子
若き日の女将さんと舅の蘭童氏
移転前の三漁洞で

蘭童氏の驚愕の素顔!

幼なかった父は、よく知らないままに、蘭童氏を偉い人として、尊敬していたようなのですが、調べてみると驚きの素顔が見えてきました。

不良で蕩児

若い頃の蘭童氏は素行の悪さで有名だったようです。最初の逮捕は、1934年の麻雀賭博でした。
蘭童氏が参加していたのは、文士、医師、画家、実業家、代議士など有閑階級が集まって行われていたこの麻雀団で、掛け金がかなり高額だったようです。その頃の読売新聞の記事によると、「千点について十円ないし二十円の大賭博」とされています。現在の貨幣価値に換算すると、約20万~41万円ぐらいの掛け金になります。
蘭童氏は一度は逃げ切ったのですが、女性の家に隠れているところを踏み込まれ、捕まってしまいます。この事件は世間をかなり賑わせたようです。
この時期、有名人の間で麻雀賭博がブームになっており、他にも様々な有名人が逮捕されました。しかし、麻雀賭博自体はそれほど罪に問われることもなく、多くは数日の拘留で釈放されたようです。 有名人の逮捕の裏側には、世間に対する見せしめとお灸を据える意味があったようです。

当時の読売新聞

希代の色魔、色事師、エロ詐欺師?!

しかし、蘭童氏だけはすぐに釈放されませんでした。蘭童逮捕のニュースを知った女性たちが、警察に押しかけ、結婚詐欺の被害を訴えたからです。蘭童氏を訴えたのは、琴の師匠、芸妓、カフエーの女給二人、裕福な未亡人、女優*二人など計7人。蘭童氏が結婚の約束をちらつかせて、金を巻き上げた女性達です。蘭童氏の夫の形見のダイヤモンドの指輪を奪われたり、自殺を謀った女性も。

* 松竹のトップ女優「川崎弘子」と松竹の名花と謳われた「飯塚敏子」

しかも、この時、蘭童氏は石橋エータロー氏の母である女性と結婚をしており、さらに女優の川崎弘子とも婚約していました!蘭童氏が生きた時代背景を考えると、かなりの「発展家」だったようですね。それとも、この時代は今よりも性に大らかだったのでしょうか???

多くの人から「ハンサム」と評された蘭童氏の横顔

話は逸れますが、私の父も若い頃は女遊びが酷く、女性達からお金を貰っていた時期もあったようです。父はそれを小学生の私たちに自慢していましたので、改悛の情もなかったでしょう。子供ながら父が恥ずかしく、嫌悪感も酷く、また、女性達にも申し訳ない気持ちになりました。
彼女たちが私のブログを読むことはないと思いますが、父に成り代わりまして、お詫びを申し上げます。願わくは、彼女達が父と別れた後、幸せなご結婚をされたことを。既にお亡くなりになられた方に対しては、天で心穏やかに過ごされますように。
父には、後で詫びに行くように言っておきます。

話を蘭童氏に戻します。
中外商業新報(現在の日本経済新聞)はこの一件の後、「色々のドン・ファンめいた噂があるので、麻雀賭博の他に不良としても追跡中」と報じています。

結婚詐欺の手口を伝える中外商業新報

「好色一代男」蘭童氏が何人もの女優との交際できたのは、蘭童氏が才能溢れるイケメンだったこと(今も昔も、こういう人は女性が放っておきませんね)、有名人だったことと、そして映画制作に加わっていたことが影響しているのかもしれません。彼は今でいうところの、有名人、著名人、文化人、またはインフルエンサーの扱いだったのようです。

被害女性が証言した公判の様子は、大きく報じられた(東京朝日)

不可解なレイプ事件

麻雀賭博から芋づる式に悪事が露呈した蘭童氏は、結婚詐欺だけではなく、松竹の看板女優「川崎弘子」を強姦した罪にも問われていました。
しかし、このレイプ事件には色々と疑問が残ります。まずは、川崎弘子氏自身が蘭童氏を庇う手記を発表していること。次に、二人は結婚を前提に三年間交際し、婚約していたこと。蘭童氏が麻雀賭博で捕まりそうになった時、弘子氏が自宅に匿ったこと等々。
映画の仕事で一緒になった川崎弘子に蘭童氏が一目惚れし、強姦したというのです。この事件は、蘭童氏だけではなく、弘子氏のイメージも著しく傷付け、トップ女優だった彼女の人気は急速に急落しました。
今となっては、真相は藪の中です。

今も昔も、正義中毒の一般人は有名人叩きに快感を覚える?

世紀の大恋愛

裁判の結果、蘭童氏には懲役10ヶ月の刑が言い渡されました。釈放後は自殺を考えた時期もあったようです。しかし、弘子氏の励ましにより立ち直り、また周囲に責任を取るように説得もされ、1935年(昭和10年)、蘭童氏は当時の妻と離婚し、弘子氏と再婚しました。

戦後は湯河原で二人、静かな生活を送りました。世間ではすぐに別れると噂されていたようですが、意外や意外、二人は生涯仲睦まじく暮らしたようです。
二人の間にお子さんはいなかったようで、蘭童氏が開いた「三漁洞」は前妻との子、石橋エータロー氏に譲られました。

余談ですが、蘭童氏と弘子氏の関係も私の両親の関係と似ており、他の女性のとっては禄でもない男でも、母にとってはそうではなかったようです。父のせいでかなり苦労した筈なのですが、父が亡くなった今、母の心の中には良い思い出しか残っていないようです。男女の仲は当人同士にしか、分からないもの。終わり良ければ、すべて良し。

福田蘭童氏と川崎弘子氏
結婚前の1933年頃か
父を早くに亡くし、苦労した幼少時代の影響か、
どこか影のある美貌
儚さが日本人男性の心をくすぐった
美男美女カップルと称された二人
©文藝春秋

福田蘭童氏と踊子に血の繋がりはあるのか?!

ここまで、長々と思わせぶりなことを書いてきましたが、結局、蘭童氏との血縁関係は確認できませんでした。

箪笥の奥から家系図(四代前までの簡略的なもの)まで引っ張り出して、色々、調べたのですが、家系図にも「福田」という姓名はまったく出てきませんでした。

もしかしたら、蘭童氏ではなく、蘭童氏の祖父母のお墓が父の祖父の家の近くにあったのかもしれません。蘭童氏は幼少期を母方の祖父母の家で過ごしており、その家が私の先祖の家と近かったらしいのです。それだったら、納得がいきます。
しかし、この件に関しては、私も調べているうちに俄然、興味が出てきたので、引き続き調査を続けようと思います。幸いにも、叔父(父の弟)がまだ存命で、母と繋がりがありますので、母に蘭童氏のお墓の件について、確認をお願いしています。ひょっとしたら、叔父の口から新事実が飛び出してくるかもしれません。

蘭童氏の残したお店「三漁洞」

前述したように、蘭童氏が開いた魚料理店「三漁洞」は今も渋谷に残っています。機会があれば、母と一緒に行ってみようと思います。(母の体調次第ですが。)
母は大のおしゃべり好きですし、女将さんも昔は女優さんをされていて、お話上手で社交的な方のようです。母とは年も近いので、話が弾みそうです。そこで、面白いお話が聞けたら、このブログに載せますね(もちろん、女将さんの了承を得てから)。お楽しみに!

渋谷の再開発に伴い、移転・リニューアル
毎朝、築地で仕入れた新鮮な魚がメニューに並ぶ
東京都渋谷区桜丘町25-18 NT渋谷ビル1F
営業時間:16:00~23:30





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