私こと笛吹き踊子は、今年の2月に緊急手術&入院をしました。この経験は同じような一人暮らしのシニアに役に立つと感じたので、いつかは皆さんと共有するつもりでしたが、事故のことを思い出すと辛くなるため、筆を置いたまま数ヶ月が経ってしまいました。
最近、やっと気持ちの整理がついたので、記事にまとめました。長くなりますので、数回に分けて投稿します。
注:これは投資の記事ではありません。私のようなお1人様がある日、突然、入院することになったら何が起きるのか。誰かの「まさか」の備えになればと思って書きました。
プライバシイー保護のため、家族に関する記述は一部、変更してあります。
注:この記事には傷口の写真が含まれています。苦手な方は注意してください。
配達中の交通事故
事故が起こったのは2月の初旬でした。ウーバーイーツの配達中に後方からバイクに衝突されました。
もの凄い衝撃でした。衝撃を感じた次の瞬間には、道路に投げ出され、頭を思い切り地面に叩きつけらえていました。ヘルメットを被っていなかったら、頭が割れていたかもしれません。
最初に感じたのは、足に走る強烈な痛み。痛すぎて感覚がありませんでした。なんとか立ち上がろうとしましたが、足が真っ直ぐにならず、「あっ、もしかしたら折れてるかも…」と思いました。
折れた箇所はジーンズで見えませんでしたが、地面には少量の血と透明の液体が広がっていました。
透明の液体は関節液だったようです。足首など関節近くの開放骨折(折れた骨が外に飛び出している状態)の場合、関節液が漏れ出てくるそうです。
通常、足には3本の太い動脈が通っているのですが、そのうちの1本がこの時に完全にダメになっていました。
流れ出る血が比較的少量だったため、相手の人は私が大袈裟な演技をしていると思ったようです。痛がる私を冷めた目で見ていました。
それでも私が「救急車を呼んで欲しい」と頼むと、しぶしぶながら電話をかけてくれました。
その時はどちらもまだ大事(おおごと)になるとは思っていなかったので、相手も「すみません。ちょっとスピードが出ていて…」と謝ってくれ、私も不本意ながら「すみません」と謝りました。
救急車が来るまでの時間はとても長かったです。
その間、地面に横たわりながら、ウーバーイーツ本部に事故の状況を報告をしようとしましたが、気が動転していたせいか、何度かけても上手く繋がりませんでした。
痛みでほとんど言葉が出ない中、相手方は元気に歩き回りながら、見物人に「この人が急に曲がってきた」と盛んに主張していました。
私のほうは痛みが酷くて、それどころではありませんでした。
母への連絡
救急車の中で、救急隊員に家族に電話するよう促されました。母は高齢で持病もあるので、心配させたくなかったのですが、救急隊員の方に「手術の前には必ずご家族に連絡がいきます。いきなり病院から電話がかかってくるよりは、本人から電話をかけたほうがショックが少ないですよ」と言われ、救急車の中で母に電話をしました。
「交通事故に遭ったけど、大した事はないから心配しないで」と伝え、母も大きな事故だと思っていなかったので、安心したようでした。
手術は3回、入院は3ヶ月
1回目の手術
救急車には乗せてもらいましたが、受け入れ先の病院が中々、見つからず、救急車の中で1時間ぐらい寝かされるはめになりました。
救急隊員は麻酔や痛み止めを打つなどの医療行為はできないため、救急車の中では何もしてもらえず、ひたすら痛みに耐えていました。
あまりにも痛くて、何度も気を失いそうになりましたが、その度に名前や電話番号、身分証明書の有無、緊急連絡先、薬の服用歴などを聞かれ、正気を取り戻しました。気を失っていたほうが、楽だったかしれません。
1時間後、なんとか受け入れ先が見つかり、救急病院へ向かいました。
病院に着いてからも、レントゲンや血液検査、手術・麻酔・輸血の説明、手術の同意書にサインなどいくつも手続きをベッドの上で済ませ、さらに1時間が経過しました。その間も麻酔はなしでした。
事故に遭った時、真っ先に頭に浮かんだのは、にゃうをどうしよう」ということでした。手術室に運ばれる前も、医師に「猫がいるので、早く帰らせてください」と頼んでいました。
手術室が空くのを待って、ようやく手術室に運び込まれた時は事故から4時間近く経っていました。
全裸にされ、心電図モニターを取り付けられ、尿管を入れられ、酸素マスクを着けられ、医師や看護師さんが集まるのを待って、30分ほどしてやっと麻酔を打たれて、手術が始まりました。
開放骨折では飛び出した骨が地面や空気に触れてしまいます。その際、土壌や空気中の細菌が骨の内部にまで侵入しています可能性があります。
私の場合は、救急車が到着するまで20分ほど地面に寝かされていたので、破傷風の可能性はかなり高かったようです。
破傷風の致死率は10%〜20%程度です。高齢者の場合は致死率がさらに高くなります。
後から、患部の洗浄に10リットルの生理食塩水を使ったと聞かされました。
骨折の分類(ガスティロ分類)では、軽度の骨折は3リットル、重症の場合は9リットル以上の生理食塩水を使うようです。
幸いなことに、3日間の観察期間を経て、破傷風の心配はないとお墨付きをもらいました。
最初の手術では、飛び出していた骨を元の位置に治し、「創外固定器」で骨を固定する処置が行われました(下の写真)。
患部の外側から、何本ものロッドで折れた骨を固定する方法です。ロッドは肉を貫通しています。
骨折の痛みに創外固定器の痛みが加わり、麻酔が切れた後は地獄でした。

1ヶ月間以上、寝たきりに
創外固定器を着けれている間は、寝返りがうてませんでした。骨折の痛みもさることながら、1ヶ月間以上、寝返りをうてないのは辛かったです。
寝返りがうてないくらいですから、お風呂も入れませんし、トイレも行けません。トイレに行けないので、尿管は2週間挿入されたままでした。ベッドの下に下げてある袋に溜まった尿は、一日一回看護師さんが捨ててくれましたが、その音にいたたまれなくなりました。
大便がしたくなった場合は(汚い話ですみません)、ベッドの上でおまるを使わなければなりません。
カーテンで仕切られているとは言え、大部屋で近くに人がいる中でベッドの上で用を足すのは至難の業です。おまるを経験した人は、「出そうと思っても、出ない」と証言しています。
幸いにも、私は2週間でトイレ移動だけは許されたので、それまでは大便をしませんでした。痛みでほとんど食事が取れなかったので、便意はまったくありませんでした。
寝たきりだったので体重を量ることは出来ませんでしたが、1ヶ月で10キロぐらい痩せたような気がします。
寝たきりでしたので、着替えも清拭も人任せでした。陰部の洗浄も看護師さんにお願いしなければなりませんでした。申し訳なさと、恥ずかしさと惨めさで、この頃の私は一日に何度も「ありがとうございます」と「すみません」を繰り返していました。
年を取ったら、下のお世話をしてもらうこともあるかもしれないとは思っていましたが、こんなにも早くその日が来るとは思ってもいませんでした。
看護師さんは女性が多いので、若い男性患者の場合は私の何倍も恥ずかしい思いをすると思います。
手術の2週間後にはトイレが許可され、ウォシュレットを使って自分で陰部の洗浄もできるようになりました。事故以来、自尊心を失いっぱなしの状況でしたが、少しだけ尊厳を取り戻せたような気がしました。自分でトイレに行けるってすごく大事な事なんだと実感しました。
面会は一度きり
事故の二日後に、母と姉が1度だけお見舞いに来てくれました。母も姉も遠方に住んでいますし、持病も抱えていたため一度きりのお見舞いでした。
片道4時間かけて来てくれましたが、面会時間は規定どおり15分です。何を話していいのかよくわからないまま、面会時間はあっという間に終わってしまいました。
面会時間が辛い
面会が1人も来ない人間にとって、面会時間は辛いものです。
大部屋の中でも見舞い客が1人も来なかったのは私だけでした。1人でいる孤独よりも、集団の中で感じる孤独のほうが身に沁みます。
私の場合、家族とも疎遠で、友人もいないので、本当に誰も見舞いに来ませんでした。
年老いた時、病気や怪我をした時、その人が今まで人とどう接してきたかが如実に表れるといいます。誰も面会に来なかったのは、人間関係から逃げ続けてきた罰だと思いました。
この先、待ち構えている孤独な老後を考えると、暗澹たる気持ちになりました。
1人だけど、1人になりたい
孤独感を強く感じる一方で、1人になりたい気持ちも強く感じていました。いきなりまったく知らない人達と一つの部屋に押し込められて、24時間、ずっと1緒に過ごすストレスは想像以上でした。
今、住んでいるアパートの住環境は最悪ですが、それでも病院の大部屋よりはプライバシーが確保できています。最高の相棒「にゃう」もいます。一刻も早く退院したくて、入院生活も最後の頃は精神的にかなり参っていました。
また、オムツ交換をしてもらったり、下の世話をしてもらう時のニオイも気になりました。カーテンで仕切られてはいますが、当然、部屋中にニオイが広がります。
私は1ヶ月間以上お風呂に入れなかったので、ニオイがとても気になりました。もちろん、私以外のオムツ交換や下の世話をしてもらっている時もニオイはします。食事中に「カー、ペッ!」と痰を吐く人もいました。
それでも過ぎていった3ヶ月間
2回目の手術
事故の2週間後には、2回目の手術をしました。創外固定器を外し、足の内部のプレートを埋め込む手術です。
1回目の手術は緊急だったので、家族が駆けつけないのは当然でしたが、2回目の手術も一人で受けなければならないのは悲しかったです。
手術と麻酔の説明も一人で聞き、同意書にも自分だけがサインしました。
手術の前に「誰か立ち会う人はいますか?」と訊かれるのが辛かったです。
手術の前の恐怖にも、1人で耐えなければなりませんでした。
2回目の手術は1回目の手術よりも痛かったですが、一番、強い痛み止め(モルヒネ)を3日間、背骨から注入してもらっていたので、想像したよりは楽でした。
2回目の手術から2週間後には、車椅子で浴室にも行けるようになり、久しぶりに髪を洗いました。

青丸で囲んだ部分は創外固定器のロッドが貫通していた箇所
黄色い丸で囲んだ部分は縫合部
3回目の手術
3回目の手術は壊死部分の切除でした。同じ箇所を短期間に何度も切開したことにより、傷口が壊死してしまったのです。
自分の体がじわじわと腐っていくという貴重な体験をしました。壊死がどこまで広がるか分からず怖かったのですが、幸いにも壊死部分はそれほど大きくなりませんでした。
壊死が深部にまで到達している場合は、4度目の手術も必要と言われていました。切ってみないと分からないとのことで、ドキドキしましたが、幸いにも壊死は浅く、手術は40分ぐらいで終了しました。壊死しているせいか、手術後の痛みもあまりありませんでした。
4度目の手術をしなくて済んだのは、不幸中の幸いです。入院期間はさらに1ヶ月伸びていたら、心が限界で病んでしまったかもしれません。

痛くはない

松葉杖で歩けるようになったが、腫れは引いていない
まとめ
今回、一人で手術・入院を乗り切った正直な感想ですが、ぶっちゃけ一人でもなんとかなります。というか、一人で何とかするしかない。
今回はまだ60歳だったのでなんとかなりました。でも、70代、80代、90代の患者さんたちを見ていると、家族のサポートなしでは難しそうだなとも思いました。
老後のことは避けて通れません。まだ大丈夫だと思っていても、いつ何があるか分かりません。お一人様であれば、老後の準備や終活をできるだけ早く始めるべきだと思います。
老後の準備や終活を積極的にしたい人はいないと思いますが、備えておかなければ結局、自分が困ります。家族にも迷惑がかかります。踊子もこのブログを通じて、様々な情報を発信していきますので、皆さんも早め対策を心掛けてください。
今回は手術や怪我についての描写が多かったので、次回は入院中に困ったことや保険、医療費の支払いなどより具体的な情報をお届けします。
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