自分のことを話すのは苦手です。自分の職業について話すのも苦手です。なぜなら、仕事人間の踊子にとって、仕事の話をすることイコール、自分の人生を語ることになってしまうからです。
しかし、踊子の正体が分からないと、踊子の書く記事をどこまで信じて良いのか分からない人もいると思います。
今日は、重い腰を上げて、自分の職業について話してみようと思います。
踊子の本業は翻訳です。今は細々とエンタメ系の動画翻訳などをしていますが、専門は技術翻訳です。
翻訳者になりたいと思ったのは、子供の頃でした。本の虫だったことと外国への強い憧れから、将来は英語に関係する仕事に就きたいと漠然と思っていました。
しかし、最初からスムーズに翻訳の仕事に就けたわけではありません。両親の反対もあり、最初は無難な一般事務の仕事から始めました。
仕事のかたわら密かに勉強を続け、専業の翻訳者になれたのは、39歳の時でした。子供の頃、漠然と憧れていた時から17年、大人になって真剣に翻訳者を目指し始めてからは10年が経っていました。かなりのスロースターターです。普通の人の3倍は時間がかかりました。
翻訳の仕事に就けたのは、本当に運が良かったと言うしかありません。
その頃はまだTOEICの点数が735点しかなく、自信も経験もありませんでした。
今のように情報が溢れている時代ではありませんでしたから、翻訳と言えば小説や物語の翻訳ぐらいしか思いつきませんでした。
産業翻訳と言っても、会社で何をどうするのかさえも想像がつかなかったのです。
しかし、たまたま、説明会で一緒になった人が、「TOEIC735点もあれば、十分っしょ!問題ない!問題ない!」と言ってくれたのです。
そこで、思い切って応募してみたら、運良く合格できたのです。
その後、その人とは同じ部署で一緒に働くことになりました。とても仕事ができる方で、その優秀さに舌を巻くことも多かったです。竹を割ったようにさっぱりとした性格で、面白い人でした。
そのようにして、とんとん拍子に話が進み、気が付いたら翻訳者になっていました。
実力不足ではありましたが、とにかく翻訳の仕事が好きで、原稿を渡されるとアドレナリンがドバドバ放出されるのが自分でも分かるくらいでした。天職だと思っていました。
何一つ誇れるものがない自分にとって、翻訳者であることと、クリスチャンであることは唯一の誇りでした。
現場で揉まれる日々は、座学だけしていた頃とは比べものにならないくらい毎日が真剣勝負でした。お蔭で、短期間でどんどん実力がつきました。
あの時、思い切って挑戦しなかったら、「一生、英語を勉強しているだけの人」で終わっていたかもしれません。
英語の実力のほうは、最終的にTOEIC965点までいきましたが、その後は頭打ちでした。英検1級も合格できませんでしたし、翻訳検定3級にも合格しませんでした。正直、翻訳者としては二流です。
最初の仕事は期間限定でしたので、契約は三ヶ月で終了しました。しかし、翻訳者としての経歴が出来たことで、別の仕事もすぐに見つかりました。
ソニー、東芝、パナソニック、富士通などの大手メーカーで派遣社員として7年間勤務する傍ら、翻訳学校・通訳学校に通い、翻訳技術の研鑽に励みました。
派遣社員として任された仕事は、半導体、電機、機械、製造技術、加工技術、素材、ソフトウエア、安全規約、ビジネスレター、契約書、特許明細書など多岐に渡りました。
技術的なことが分からないと翻訳できないことも多く、休みの日は図書館に通い、技術本を借りまくりました。
まだ、今のようにインターネットで調べれば、ある程度のことが分かる時代ではありませんでした。
その時、学んだことが、今、投資に関する情報を理解するのに役立っているのですから、人生は不思議なものです。
会社員時代は滅私奉公していました。翻訳した資料の送り先がアメリカだったこともあり、時差の関係で締め切りの制約がかなり厳しかったです。
お昼休み返上で翻訳したり、晩御飯抜きで終電ギリギリまで残業し、駅まで走ったことも何度もありました。
そして、仕事から帰ってくると、食事もそこそこに日本語と英語のニュースをチェックし、日経新聞と英字新聞を読み、次の日の電話会議に使う英単語を暗記しました。
その頃は本当に時間がなく、勉強時間を捻出するために、自炊はほとんどせず、コンビニ弁当で済ませることが多かったです。
少ない給与はお勉強代と書籍代に消えました。翻訳ために、健康とポケットマネーを犠牲にした7年間でした。
フリーランスになったのは、46歳の時です。最後に勤めた会社が不祥事(技術データの改竄)で解散したことがきっかけです。
会社員時代も対人恐怖症にはずっと苦しめられていましたし、通勤時間が長かったこともあり(片道2.5時間)、在宅で仕事をしたいという気持ちが強くなってもいました。
フリーランスの翻訳者としては、10年間、在宅で翻訳の仕事を続けました。
在宅翻訳の仕事を失ったのは56歳の時です。
それまでは休みがほとんど取れないほど忙しかったのですが、担当者が変わり、仕事の依頼が徐々に減ってきました。悪い兆候です。
悪い兆候に気が付いた時点で、新規の取引先を開拓するなり、別の仕事を見つけるなりすれば良かったですが、鬱を言い訳に何もしませんでした。
56歳の時に翻訳の仕事がピタリとなくなりました。父が亡くなった数ヶ月後でした。
父とは疎遠でしたが、父の死がきっかけで、今まで目を背けてきた家族関係や自分の老後に向き合わざるを得ず、色々な意味で打撃を受けました。酷い鬱状態に陥り、外にも出られなくなりました。
あれほど好きだった翻訳に対する情熱も失いました。なによりも、自分でも二流と自覚していたので、翻訳者として再起できる希望が持てませんでした。
その後は単発バイトやウーバーイーツなどの仕事をして日銭を稼いでいましたが、今年の冬、大きな手術を3回してからは療養生活を送っています。
今はブログと動画チャンネルで再起を狙えるまでに回復しました。完全に回復したら、新しい仕事を探すつもりです。
翻訳とは異なる職業になるとは思いますが、その仕事で得た経験もいつか何かの形で役に立つことがあるのではないかとも前向きに考えています。
長くなってしまいましたが、少しは踊子のことを分かっていただけたでしょうか。
自分で言うのもなんですが、踊子は真面目で愚直な人間です。自分の利益のために、人々を操作・誘導するような情報は流しません。時々は間違った情報をお伝えしてしまうかもしれませんが、誤りに気が付いたらすぐに訂正致します。嘘はつきません。
これからも皆様のお役に立つような記事を書けるよう、研鑽を積んでまいりますので、末永くお付き合いいただければ幸いにございます。
この広大な仮想空間で偶然、袖が触れ合ったのも何かの縁でございましょう…
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